作品作り
今回、展覧会に出すために大きめのサイズでの制作を行った。
小さい紙で構図を考えるのは楽しい。
それに、すぐにできる。
大きい紙に描くのは、描く内容が決まってしまえば簡単なものだと思っていた。
けれど、そんなことはない。
小さい紙に描いていたのは、言わば自己満足の世界。多少変でも内容が薄くても、特に気にもならない。
ところが、それを大きい紙に描いた瞬間、作品が自己満足の世界から飛び出して、見る側に対して働きかけることになる。
実際に描いてみて、なんだ自分が描いたものはこんなものか、何も伝えようとしていないじゃないか、ということに気づいた。
大きい紙に描いたとき、それがいい作品だと思えるのには、見る側に訴えかける何かが作品の中に存在することが必要なのだろう。
大きい作品は、カッコいい。
けれど、一方間違えると、ただのまぬけな作品になってしまう。
今回は、そのことを学んだ。
もっとこう、自分の内面を見つめなおして表現するべきだと感じる。
表現することは、自分と向き合うことから始まる気がした。
はたち
はたちになった。
お酒が飲めるようになってうれしい、成人してうれしい、といった感情はあまりなく、
ここまで育ててきてくれてありがとう、はやく安心してもらえるように頑張ろう、
といった気持ちがほとんど。
ほんとうに、ありがとう。
コーヒー画
最近、コーヒーペインティングなるものを知った。
インスタントコーヒーを使って、独特の色としみ模様で表現する。
これは、昨日試し書きしたもの。
こんな感じの作品をつくる予定。
前期展まで時間もないし、本格的に取り組まなければ
障がい者の作品
今日は学校帰りに、河原町丸太町のギャラリーに展示を見に行った。
何かしらの障がいを持つ方達の作品展だった。
かわいらしい、予想だにもしない作品が多い。
例えば「えびふらい達」という作品には、画面いっぱいに大量のえびふらいがひしめいている。
他にも特徴的なものが多い。
中には、画面のある一部分だけが、とても緻密に、狂気を感じるほど丁寧に描かた作品もあり、その横には虫眼鏡で見ないと文字と分からないほど小さな解説文がつけられていた。
きっと、この部分に全精力をつぎ込む勢いで、集中して描きあげたのだろうなぁ。
そうした作品を見てギャラリーを去ったとき、なんだか不思議と、活き活きとした気持ちになった。
作品を作るにあたっての経緯とか技術とか意味付けを知るよりも、その作品を見ることで伝わる気迫であったり、作者の狂気じみた思いを感じることの方が、生きる為には大切なんだろうなと思う。
天気も悪くどんよりした気持ちだったが、それらから少しだけエネルギーをもらった気がした。