小田原
今度、どこに行きたい?
海に行こうか。
僕は山がいい。
なら、山の上から海を見よう。
潮風を顔に受けて
緑のソファに腰掛ける
鳥の唄は生き生きと
サンドイッチを頬張って
彼方の白帆に手を伸ばした
小鳥が消えた
日が昇りきる前に
小鳥は役目を終え
自らの巣へと帰って行く
人生初デッサン
前回の油絵に続いて、今日は石膏デッサン。
なんの知識もないまま挑んで、それっぽくはなったけれど、先輩達と比べたら子供の落書き。
時間を忘れて熱中できること、久しぶりに見つけてとても嬉しい。とても楽しい。
素直に楽しむなんて、いつ以来だろう。
まだ大学生活数日しか経ってないけど、既にその幸せを噛み締めている。
勉強と並行して、美術とコーヒーを存分に楽しもうと思う。
この高ぶる気持ち。
まるで新大陸に来たみたいだ。
和菓子とコーヒー
今日は和菓子とコーヒーに関するトークイベントに参加した。
和菓子って、みんなどんなイメージなんだろう。
やっぱり、お抹茶と一緒に改まって食べる敷居の高いお菓子なんだろうか。
今回のイベントではそこに注目して、もっとラフな、おやつとしての和菓子を主張していた。
ここで、私はショックを受けた。
和菓子をおやつと認識していない人の方が多い。
想定外だった。
私としては、散歩帰りに団子を買う、おやつの時間に大福を食べる。全て当たり前だと思っていた。
けれどそれは京都に住んでいるから当然と感じられることで、人混みの中で生きている人達には和菓子屋さんがそもそも身近なものではない。
だからこうしてイベントまで開催される。
一種のカルチャーショックだった。
また、煎り具合によって味の変わるコーヒーと、甘い和菓子とのペアリング。
苦いものと甘いものの組み合わせだけでなく、さっぱりしたものと甘いもの、こってりしたものと甘いもの、様々なペアリングが楽しめる点で、お茶よりも面白い存在だ。
今日のイベントも参考にしながら、自分なりの和菓子の楽しみ方を探してみようと密かに決めた。
油絵
今日は大学の美術部の新歓イベントに参加。
人生初の油絵。
そもそも絵の具を使った絵を描くのが数年ぶりで手こずりはしたけれど、なんとか完成。
水彩画とは違う、少しこってりした感覚は生まれて初めてのものでした。
パプリカだけどりんごみたい。
塗り重ねれば塗り重ねるほど味がでる油絵。
嫌いじゃない。
もっと多くの技法、技術を手にして、哀愁漂うきれいな絵を描けたらいいなと思っています。
木蓮
先日、奈良の当麻寺へ行きました。
中将姫伝説で有名なこのお寺。白鳳期の鐘やら日本最古の持国天やらが普通にある。
京都に生まれ育ち20年。古いものは見慣れていますが、奈良の歴史には頭が上がりません。
けれど特に私を引き付けたのは、奥の院に咲くある花でした。
木蓮。
わざわざ奈良に行かなくても、近場で見ることができるであろう、木蓮の花。
でも、うまく表現できないけれど、奈良の歴史ある寺の一角でそれを見つけてしまうと、それは特別なものとして見えた。
まるで、若い美女が宝物を持っているかの如く、仏の掌に美しい仏具が乗っているかの如く、それは私の目を暫くの間奪ってしまいました。
これだけでも、奈良へ来た意味があると思える。
すっとこちらへ差し出される、木蓮という名のプレゼント。
当麻寺であの花を見るからこそ得られる、密かな充足感。
奈良の魅力は、こんな所に。
京都の山
京都を囲む山たちはいつもにこにこしてますよね。にこにこというか、にやにやというか。
のほほんとして、めりはりはなく、みんなでこっちをみて、ふふふってしてる。かといって優しいわけじゃない。
困った時にふと目をやると、我関せずといわんばかりの表情をしてる。困ってるこっちを見て、やっぱりふふふってするんです。いや、助けてくれへんのかい、って気持ちになります。もちろんそんな義理は無いですけどね。
でも、いつも一緒にいるんやから、少しくらい手を貸してくれてもいいやんかって思います。そしたらあいつら、こう言うんです。困ってる姿がおもろい、と。ひどい山たち。
けど憎めない。それがあの山たちの気質だから。どうこう言ってもしょうがないと分かってるから。思わせぶりな顔をして、もてあそぶ。女性がこれをすると、男はぞっこんの器の中で翻弄される。精神をすり減らす。これを性別を超えた次元でしてくるから、人間にとっては厄介な相手です。
新しく京都に住む人はどうかお気をつけて。やつらの思う壺にはまってしまうと、出るのはなかなか難しいですよ。